播州織について①-播州織と西脇-

2016.03.19

播州織は兵庫県西脇市で栄えた織物の地場産業です。最近では地場産業やmade in japanを見直す風潮の中で播州織の名称が広がりつつあります。ですが「播州織の特徴ってなに?」とよく聞かれますので、何回かに分けて「播州織について」というトピックで連載します。どうぞお付き合いください。①は播州織の全体像とその中心の街西脇についてです。

播州織を一言で説明すると「綿で薄手の先染め織物≒シャツやブラウス用の生地」です。先染めとは読んで字の如く、先に糸で染めてから織る手法で、「チェックやストライプの柄を作れることが特徴」です。(逆に後染めとは、織った後に染める技法、布でドブンと染めてしまったり(その場合は無地の生地に)、プリントなども後染めです。)産地の人は、今でもギンガムチェックやロンドンストライプのシャツ生地を見たら播州織かな、と連想するほどです。現在でも国内に流通する国産のチェックやストライプシャツの50~70%は播州織と言われている程です。(しかし多くは播州で織られた後、アジアで縫製されるのでタグは「made in japan」にはなっていません。)チェックやストライプ以外にも、いわゆる「シャンブレー」と呼ばれる(タテ糸とヨコ糸の色を変える)無地の綺麗な織物や、トラッドなスタイルの代名詞オックスフォードなども定番です。上の写真は機屋さんから頂いた、古いノート。昭和41年頃ですが、受けた仕事の内容が事細かに記されており、上記のような定番以外にも風変わりな「ドビー」と呼ばれる柄を施した織物の記録が残されています。ノートをめくると今では機械がなくなり作れなくなってしまった貴重な織物の見本などもありました。

播州織の起源は200年以上前にとある大工が京都から織機制作の技術を持ち帰ったことが始まりとされています。その後農家の副業として地場に根付きました。1950年代〜70年代ころまでにはいわゆる「ガチャマン時代」と呼ばれ、ガチャンとは機械を動かせば1万円儲かる、と言われ最も景気が良かった時代です。西脇もこの時代が最も儲かった時代だったそうです。河になんと屋形船が出ていたり、全国から女工さんが集まり、中心の商店街は人で溢れてそうです。ちなみに女工さんの給食として開発された小ぶりで甘口の醤油ラーメンは「播州ラーメン」と呼ばれ今でも愛されています(西脇出身の方は播州ラーメンの味=ラーメンと思って育つので、外のラーメンをはじめて食べると衝撃を受けるそうです)。今も好景気の名残は少し街に残っています。当時の遊びばとしてスナックが並ぶ通りがあり今も残っていますし、大きなお屋敷も多いのです。

1980年代には生産量がピークを迎え、その後は右肩下がりに生産が下がります。1989年に1000件以上あった機屋(はたや:織物を織る工場、多くは家族経営の家内工業)が現在では180件弱となりました。とは言え今でも街を歩くとどこからともなくガシャンガシャンと機織りの音が聞こえてきたり、のこぎり屋根が街中に残っていたり。糸の染色工場の煙突からは湯気がモクモクと出ていたり。まだまだ織物の街は健在なのです。

②に続く
-もう少し踏み込んで具体的に産地の特性(長所・短所)について触れます-

 

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