hatsutoki books vol.28 [ 世界をきちんとあじわうための本]

2018.01.19

今年最初にご紹介するのは、人類学者を中心メンバーとする「ホモ・サピエンスの道具研究会」という、ちょっと気になるリサーチ・グループ名の人々によって出版された一冊。

呼吸すること、その日の天気に合わせてぴったりの靴を選ぶこと、一日の予定を想像してカバンの中身を整えること、足跡を残すこと。あらゆる人が暮らしのなかであたりまえに行為している営みを研究の対象に、ありふれていてあまりに当然のことゆえに普段は気づかない世界の設定や、意味にこだわりすぎて時に取りこぼされてゆくその豊かさについて考察した一書です。

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わかっていたつもりの行為や景色への解像度を上げたり視点をズラすことで、生き生きと容貌を違える世界の味わい。それは、ものづくりにおいても共通する基本的であり、大切な姿勢。「こんなところにヒントがあったんだ」と感じる力に、水を与えて感性をみずみずしく潤してくれるような一冊です。学術的なアプローチをテーマにしながら、シンプルな行為やルーティンの延長のなかに事象を捉えて提示する、あざやかで心地よい気づきと学びがきっとあります。

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hatsutoki books vol.27[続 暮しの思想]

2017.11.27

今回紹介するのは、社会学者・加藤秀俊さんの[続 暮しの思想]。昭和50年代の日本の「現代社会」の暮しをつぶさに観察しながらゆたかさとはなにか、様々な視点から考えられたエッセイです。ふだん私たちは生地や服をつくる時、どんな暮しをしている人に着てもらいたいのか、服を手にする人の背景をいつも思い浮かべています。何を大切にして生きているのか、それは結局、服やことば、生まれるものや身につけているもの全てに自然と落とし込まれているのだと思います。

このエッセイが綴られてから40年以上経った今でも、私たちは日々、ゆたかさを求めながら生きています。その探究心の一端だなと思えたのが、筆者が日本を『小細工の国』と称していた内容でした。文中で挙げられたのは、たとえば子どもの学習机。それは我が子の成長を願って、より良いものを揃えてあげたいと思うもの。使いやすさを求めて、机横のカバンをかけるためのフックや、時間割表を飾るためのボード、机本体に付随した鉛筆削り、あらゆるものが備わった学習机を私も幼い頃に買ってもらった覚えがあります。

しかし結局、年を重ねるとともに椅子を変え、引き出し一式を取り除いて、机上の棚もぜんぶ外して、さいごはとてもシンプルな机になっていました。今思うと、私にとってはそれがやはり一番使いやすかったのです……。

日々生活をする中で「こんなことならできる」「これなら作れる」と選択肢を一つずつ足していく作業は、すでにあるものを使うことよりも、面倒だけど楽しいモノ。ちょっと足りないくらいが、ちょうどいいかもしれない。ゆたかさとは、その中にある柔軟さや自由さにあるのではないかなと思うのでした。そんな暮しの工夫がもっとできるようになっていきたいものです。

盛秋

2017.10.27

10月もそろそろ終わる頃。台風22号が来る前に、せっせと稲刈りをしている風景がここ数日見られました。稲がこうべを垂れて実る田んぼを見渡すと、本当に黄金色という色の名前がぴったりだと感じます。

この頃、目に写る景色と身に纏いたい色は、深いつながりがあるんだなとあらためて実感していました。秋になって金木犀が薫ると、深い緑の葉の色や橙色の花を想像したり、紅葉が深まれば、赤から茶色へのグラデーションを自然と頭に描いてしまうもの。見渡せば、街で人が着ている服や、店にならぶものたちも、自然の流れと同調しているように思えますが、よくよく考えると不思議です。なぜ環境に合わせて、ヒトは同じ色を纏いたいと思うのでしょう。そんな動物はほかにいないですし(そもそも、服を着るのも人間だけですが)、国や地域によって好まれる色がちがうということにも深く関係していそうです。

そして、面白いのは一概に、季節や身の回りの風景だけが身につけたい色と関わっているとは言い切れないというところ。それはその個性であったり、重ねる時間であったり、感情であったり、当然だけど人によってちがうものです。そして時とともに変化するものでもあります。

一日として同じ日がないように、ヒトも毎日纏いたい色がちがうのでしょう。一生の間で、できるだけいろんな色に触れてみたいものです。


hatsutokiのオンラインストアには今季のお洋服が揃っています。この秋冬にまといたい色をぜひ探してみてください。

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秋桜

2017.09.12

すっかり暦は秋になり、秋桜が咲く季節になりました。この花が細い茎と葉をたわわに揺らして咲いているのを見ると、綺麗だなと思うと同時に、短い秋がすぐに過ぎていってしまうと感じるからか、少し切なくなります。

幼稚園か小学生くらいの時、「秋の桜ってかいて、コスモスってよむんだよ」と友達に教えてもらい、そんな訳絶対にない!と断じて信じなかったというおかしな思い出があります。だってどう読んでも、コスモスなんて読めなかったからです。その数年後、曲名かなにかで使われているのを見て、ああ本当だったんだと気づくまでに数年か掛かりました。

そんなこの花の原産はメキシコで、明治の頃に渡来した植物。[秋桜]というのはあくまで当て字なのだそうですが、それでも私はこの漢字の組み合わせがとても好きです。秋を感じさせてくれるうつくしいすがたが、日本人に秋の”桜”として愛されてきた理由なのかなと感じます。

蓮の花

2017.08.18

お盆に墓参りをしたら、蓮の花が咲いていました。仏教では、西方浄土の極楽は神聖な蓮の池と信じられているためお寺の境内に蓮の池が作られて、よく植えるようになったのだそうです。アジアのいろいろな国の国花にもなっています。

しずかに浮かぶ蓮の花は、きれいな澄んだ水でしか咲かないのだそうで、それを知るとどこかいっそう特別にうつくしく感じ、昔から神聖な花として人々に親しまれてきたのがわかるような気がします。

ちなみに、蓮は「蜂巣(はちす)」を略して生まれた名前。実の入った花床にはたくさんの穴があいていて、蜂の巣に似ているからなのだそうです。

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外皮が固くなった花床は、まるで生き物のようでした。青々とした葉っぱが夏の日差しに、鮮やかに映えていました。

ハツユキカズラ

2017.07.13

名前をみると、冬の植物なのかなと思いましたが、じつは春から秋にかけて咲く[ハツユキカズラ]。街の中を歩いていたら、家と道の境目で地面をおおっていました。白とピンクの部分は花ではなく、葉の部分。ピンク色から白へと、季節がうつり変わるのと合わせてゆっくりと色を変化させていくのだそうです。その様子から、花言葉も「化粧」「素敵になって」という白粉(おしろい)を連想させるようなことば。

植物を見ていると、季節をゆるやかにまたぎながら、ふとした瞬間に花を咲かせたり、色が変わっていって、日々刻々と、しっかり成長していただんだ、と感動してしまいます。いつも変わろうとしなければ、景色が大きく変わるくらいの変化はできないのだ!と日々を過ごすエネルギーをくれている気がするのです。

hatsutoki books vol.24 [blossom]

2017.07.07

7月の中頃まで、吉祥寺の古本屋・百年で展示を開催している、安藤晶子さんの[blossom]という作品集。彼女は主に、自分で描いた絵をピースにコラージュをして絵を作り上げています。ほとんどの作品が、ノートブック一冊分くらいの大きさなのですが、描きためた原画、それらを切り離したピース、絶妙なバランス感覚で配置されていくコラージュは、ぎゅっと密度が凝縮していて、なんだかおいしそうな果物のように愛おしい作品たちです。

コラージュという方法は、考えると日常のふるまいや過ごし方ともつながってくるものなのではないか、と考えるときがあります。自分がそれまでにこしらえた、ありったけの材料の中から一番ふさわしいものを、ふさわしい大きさに切り取って、ふさわしい場所に配置していく。どうしてもありあわせでは我慢できなくなったら、その場で作っては足していく。どんな材料を持ち合わせているかはそれまで自分が費やしてきた時間に付随するし、その時々でピースの見え方も変わってくる。そしていつの間にか、時間を重ねた「濃い」絵が完成する。安藤さんの絵には、そんな必然性と偶然性が隣り合った様な、ちょっとしたジャズのような感覚を感じられる気がします。

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そして、同時に面白いなと思うのは、一つ一つのピースはとてもシンプルであること。ある一定のパターンや柄の連続はモチーフも材料も、すごく身近で些細な何かだったりします。それらが組み合わさることで、小さい画面の中からでもどこか違う世界に連れて行ってくれる気分になるのです。

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「何でもない、けれどたしかにいとしい何ものか」「この世に、小さくてもみるべきものは、たくさんある。いくら大きくても、見なくていいものも、たくさんある」「何を見るべきかは、自分で決めていい」

そう言う彼女から生まれたものたちは自信のようなを持ち合わせていて、それを眺めるのはとても心地良いものです。

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東京の近くにお住まいの方は、ぜひ展示にも行ってみてください。展示スペースである本屋さんもいいところです。

[blossom]
期間:6月25(日)-7月15日(土)
場所:古本屋百年(東京都武蔵野市吉祥寺本町2-2-10 村田ビル2F)
時間:月曜日~金曜日/12:00~23:00
   土曜日/11:00~23:00
   日曜日/11:00~22:00
   火曜日/定休日

    詳細はこちら

(百年のホームページに移動します。)

台風一過の夕方

2017.07.06

台風が過ぎ去った後の透明な空気や、眩しい光が子供の頃の記憶にありました。雨が上がって日が出たら、嵐が過ぎた安堵感もあり、なぜか少しわくわくして晴れやかな気持ちで外に出たことを思い出しました。台風一過という言葉を知ったのはその後のことだったと思います。

先日の台風の後、夕方から街中が見渡せる近所の山へ向かいました。水を得た草木も心なしか生き生きしていて、アスファルトの水たまりや店のショーウィンドウの水滴にもきらきらと光が反射して、街中が日常とは少し違う光景。台風一過の空は、風や雨で空気中のチリが吹き飛ばされ、澄んだ景色が現れます。きっと美しい夕焼けが見れるのではと期待しながら山道の階段に腰掛けて雲を眺めながら日の入りを待ちました。

hatsutoki books vol.23 [パイナツプリン]

2017.06.24

今回紹介するのは、吉本ばななのエッセイ[パイナツプリン]。『キッチン』で鮮烈にデビューしてから、作家として活動し続けてきた彼女の、初のエッセイ集。執筆した当時24才だった彼女の日常の出来事、友人や恋、作家について考えることについて。少女のようなあどけなさと、とてつもない落ち着きと冷静さを持ち合わせたエッセイは、まだどこか未完成でみずみずしさを感じます。

不安定な精神とデリケートな心を持ちながらも、家族や友人を愛し、やりたいことに前向きに取りくんで、人間らしく生きている。本当にいいなと思う。この言葉は、彼女が敬愛するスティーヴン・キングという小説家についてのエピソードから抜粋した、彼に対する思いを連ねた一節ですが、これはまさに、私自身が抱く彼女への印象。一人の作り手の、若き頃に考えていたことや目指していたものを知るのは、とても勇気をもらい、元気が出るものです。

また、この本で興味深かったのは、女性は「水分」が多くて変化が多いということについて書かれた部分。感情的な心の動きを、彼女は水の「揺れ」に例えていました。水が揺れるように、時に見ていてこわくなるような「瞬間美」のみずみずしさは女性の美しさなのだと。

これを読んで、「揺れ」はあっていいものなのだ、しょうがないのだ、とどこか救われた気分になり、それを以ってなお、たおやかにそれを乗り越えて、凛として毎日を過ごしていきたいなと思えるのでした。

近所の花 vol.6[ガクアジサイ]

2017.06.19

梅雨のはじまり、青い花が涼やかで見るとなんだか気持ちが落ち着きます。今日は道端で咲き始めた[ガクアジサイ]について。

小さい頃、ガクアジサイを見ては「いつ花が満開になるんだろう」と待ち続け、いつの間にか夏の訪れとともに枯れていってしまった記憶があります。私が思い描いていた「満開」のアジサイは、てまりのようなポンポンとしたホンアジサイだったのですが、実はガクアジサイを品種改良して、のちに生まれたものなのだそうです。

花びらのように見える部分は、萼(ガク)のかたちが変化したもの。花は萼の中心にある、小さいものを指すのだそうです。それでてっきり、萼からガクアジサイという名前がきたのかと思ったら、それも違うのだそうで。萼の部分が額縁に見えることから額アジサイというのだそうです。そこから別名を「額の花」ともいい、夏の季語として古くから人々に親しまれてきました。

「額の花こころばかりが旅にでて」 (森澄雄)

額の花を見ていると、気持ちだけが旅に出たいと急いていると詠われた句。湿気が高く、ぱっとしない梅雨の季節、それでもたしかに、この花を見るとどこか気持ちが晴れやかになって、どこかへ出かけに行きたくなりそうですね。

34°58’40.5″N 134°57’52.9″E

instagram #ガクアジサイ