hatsutoki books vol.22 [It’s beautiful here , isn’t it…]

2017.06.13

何でもない見過ごしていた風景が、どこかかけがえのない、特別で愛おしい物になってしまう。そんな魔法の様にも感じるイタリアの写真家、ルイジ・ギッリ(Luigi Ghirri)の作品集「It’s beautiful here , isn’t it…」をご紹介します。

ページをめくると、写真で映されているものは、どこにでもありそうな風景、誰も気にもとめていない物(古びた看板や、商店のショーウィンドウ、壁に生える蔦、無造作にテーブルに置かれた野菜……等々)なのです。しかし、それらの被写体はとても柔らかい光に包まれ、色彩にあふれ、精密に計算された構図、ウィットに富んだ暖かい目線で美しく切り撮られています。
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タイトルは邦訳すると「ここは美しい場所でしょう…?」といった感じでしょうか。「ここ」とは、きっと自分が今いるこの場所や時代のことなのかもしれません。ギッリの写真を見ていると「ここ」はとてもかけがえのない場所で、美しく感じるかどうかはあなた次第……と教えてくれているような気がしてきます。

写真を愛し、写真に生涯を捧げた芸術家 ルイジ・ギッリは大きく時代を変えるような、特別な、革命的な何かを生み出したわけではないかもしれません。しかしいつ、どんな時代の誰が見ても、どこかほっとするユーモアに溢れ、記憶のなかの大切なものを思い出させてくれるような写真を淡々と、そして情熱的に撮り続けた写真家なのです。

hatsutoki books vol.21 [OPEN FRUIT IS GOD]

2017.06.01

今回ご紹介するのは、1989年生まれの東京出身の写真家・清水はるみさんの作品集[OPEN FRUIT IS GOD]。彼女曰く、この作品は”冷蔵庫に貼られたマグネットのたわいもない言葉遊びのように、主に自然の中で遭遇したセットアップのような光景をパーツとして集め、スケールの大小を問わず組み合わせたもの”だそうで、その比喩がしっくりと来てしまう、物腰軽やかで少しふしぎなニュアンスを持った写真です。

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これを見ていると「違和感」は、時に一種のうつくしさや、人を惹きつける何かなのだと思えました。私たちは日常の節々で、ほとんど無意識的に人と人との関係性や、ものとの関係性、環境の文脈を読み解こうとします。「少しわかる、だけど分かりきらない」というのは、ちょっとしたことでもとても気になってしまうもの。

独特の質感や組み合わせを捉える視線はシャープでみずみずしくて、それでいて女性らしいやさしさをも感じます。日常の中にある違和感を見逃さず、それらをを再編集することで、散文的でありながらどこか心に引っかかる作品です。

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採集について

2017.05.18

連休の数日、瀬戸内海へ足を伸ばして、ある島の海岸に行ってきました。海の水はまだ冷たくて、とてもではないけれど泳ぐことができず、海辺を散歩することに。小さい頃は、何時間も砂浜で貝殻を探すことに夢中だったな……と思いながら足元を見ていたのですが、ふと、きらきらとした貝殻の隣で打ち上げられた海藻が目に入りました。

水気を含んで、ぬるぬるしていて、手の上に長いこと持っていられるものでは正直なかったのですが、どのくらいの種類の海藻がこの海岸には打ち上がっているのか、ふとなぜか気になってしまい、集めてみることにしました。

歩いては落ちている藻を拾う。それを繰り返すうちに、海藻の水分がなくなってしまうことをおそれて、それを運ぶ容れ物を探すようになりました。さっきまではただのゴミだったペットボトルが途端にとても貴重に感じ、無心に拾い始め、海水で満たしては藻を入れていきました。

集めた海藻を眺めると、やっぱり海の生き物なのだなあと実感。その時集めた海藻は、たまたま全ての葉っぱが風船のように空気を含むような構造をしていました。漂流して、繁殖するためなのかなと思いましたが、それでも種類によってその工夫の仕方は様々で、それもまた不思議です。自然が与えた、全てのかたちには意味があるんだなあとふと実感したときでした。

春から初夏へ

2017.04.30

綺麗なミモザが街中に咲いていて、忘れない様に写真におさめておこうと、10日ほど前に思いたちました。4月中頃までの景色でしょうか。なにしろこの季節は草花や山の色、街の景色の移り変わりがとても早いのです。

山は4月の雨が上がり暖かい日が訪れると一斉に新芽を吹き、若葉色に染まります。この瞬間、春が来たまさにその瞬間はとても感動的で、自然の力強さをひしひしと感じます。花は、桜、たんぽぽ、ミモザ、モッコウバラ、オオデマリと次々に咲いては散り、また咲きます。毎日通る道が、日々変化して新しい気付きや感動を与えてくれるのです。

ここ半年ほどのことなのですが、花や草木の名前を覚える楽しさを知りました。名前を知ることで、見過ごしていた物が、見過ごせない物になっていることに気がつきました。それはつまり、世界を縦に広げること、たとえ小さい街で暮らし、日々同じ道を通っていたとしても、見ている世界の深さが変わることだったのです。

COLUMN No.1[Fine Cotton Twill Chambray]

2017.04.13

ハツトキのオリジナル素材についての読み物ページを制作いたしました。No.1は”Fine Cotton Twill Chambray”です。

これがコットン?ととろける様な質感。最高級の技術で紡がれる上質な糸ならではの美しい光沢。そして光沢の奥には、古くから人々の生活に馴染んで来た綿という植物が生み出だす素朴な表情を見出しました。繊細でいてどこかノスタルジックな表情。この素材が醸し出すインスピレーションこそがhatsutokiの美意識の根底にある「しなやかな日常着」の原点とも言えます。

綿(わた)から織物、そしてシャツに。想像も出来ないほどの多くの人の丁寧な仕事や、情熱に支えられ誕生する素材の長い長い旅路のものがたりの一端をご紹介いたします。

http://hatsutoki.com/column/no1/

hatsutoki books vol.20 [センチメンタルな旅]

2017.03.18

20回目に選んだのは荒木経惟の[センチメンタルな旅]。1971年7月7日、荒木と妻・陽子は結婚式を挙げ、翌日からの新婚旅行を撮影した写真集です。この作品は当時私家版として1000部限定で作られ、幻の作品となっていましたが、昨年復刻版としてふたたび出版されました。

この旅路の記録の魅力の一つは言うまでもなく、荒木の写す妻・陽子のすがた。飾り気がなく、笑みも浮かべず、気品があって凛としている。彼女の目の奥にひそんでいる、うつくしさや一種の狂気のようなものを荒木は自然と写していました。見てはいけないものなのではないか、と思うほどに親密で愛情深く、それでいて甘くない二人の光景は「夫婦」という関係性について肉親ではない他者から初めて考えるきっかけになったかもしれません。

ページをめくると、旅の中で流れていた時間を肌で感じることができているような感覚になります。旅先で淡々とシャッターを押す荒木の写真からは、これから夫婦として人生を歩んでいくのだという刻々とした覚悟のようなものもうかがえる、素敵な夫婦の始まりが描かれた作品です。

近所の花 vol.5 [コセンダングサ]

2017.02.22

コセンダングサは夏の終わりから秋にかけては、黄色い花を咲かせます。機屋さんに向かう道の途中、砂利道の隅で咲いていたのを見つけ、種をつけた冬の姿もとても可愛いと思いました。

種子は鋭い銛のようなものがくっついており、動物に付着して運ばれていくのに適したすがたをしています。なんで動物に運ばれることを前提として、こんなかたちをして生まれてこれたんだろうかと、考えてみると不思議。風で運ばれるもの、水に運ばれるもの、鳥に食べられて運ばれるものなど、植物にはいろんな繁殖の方法がありますが、当たり前だけどヒトにはそんな能力はありません。

ついつい、「人間だからできること」というのを考えてしまいがちですが、私たちには到底なしえないことを、植物は生き延びていくためにひっそりと力強く成して、環境に合わせた生き方をしていました。

35°00’49.9″N 134°53’36.1″E

instagram #コセンダングサ

hatsutoki books vol.19 [GIRLS STANDING ON LAWNS]

2017.02.19

今回紹介するのは、MAIRA KALMANとDANIEL HANDLERによって生まれた[GIRLS STANDING ON LAWNS]。二人は、ヴィンテージの写真からインスピレーションを得て、それぞれの創作に落とし込みました。その写真は、一般の人によって撮影された、ごくふつうのポラロイド写真。本のタイトルの通り、共通しているのは「芝生の上に立つ女の子」だということ。

イスラエル生まれのイラストレーター・デザイナーであるKALMAN は、時に白黒で映された写真に色を与え、風を感じるようなタッチで彼女たちの姿を描きました。そこに童話作家であるHANDLERが被写体のバックグラウンドを想像して、写された女の子が話しているかのようなテキストを添えてあります。

とても個人的な写真を見ると、日々のささやかな一瞬こそが幸せだなあと感じます。今になると、私たちは当たり前のように写真を撮る習慣がありますが、なぜ撮ることを好むのでしょう。嬉しい瞬間、お祝いのひと時、楽しかった思い出、それを忘れたくないからでしょうか。でも、昔の自分の姿を見たり、もしくは全く関係ない人の写真を眺めるなんて、よくよく考えればとてもふしぎなことに感じます。私たちは記録して見返すことで、忘れやすい自分たちの記憶になにかを蘇らせるだけだなく、たとえ全然知らない風景にも何かを新たに見出したりしているのかもしれません。「記憶をとどめたい」「過去をのこしたい」というヒト特有の感情は、とても人間らしくて、おもしろくて、美しいなと思う一冊。

instagram #hatsutokibooks

 

 

 

 

想像の想像

2017.02.07

料理をつくるのが好きで、今までに試したことのない組み合わせを思いつくと一体どんな味がするのだろうと、どうしても作って見たくなります。料理は当然、味を想像しながら素材の組み合わせを決めたり、調理の工程を考えたりしますが、そこでふと「味の想像」っていったい何なんだろう、と疑問が湧いてきました。想像の中の味は一体どうやって想像しているのか?と考えれば考えるほど難しいのですが、逆に全く想像も出来ない味は何かというと、今までに食べたことのないものだとわかりました。

つまり、想像の正体は「記憶」や「経験」に近いものなのかもしれません。ではこの文章を読んでくれている方は、心の中でどんな「声で」読んでくれているのでしょう。私の声を聞いた事がある人はその声で読んでくれているのでしょうか。そうでない人は?何かしらの声がしていることは間違いないと思うのですが、記憶にないその音はモヤモヤ霧に隠れているようで想像が難しいのではないでしょうか。

しかしここでもう一つ疑問が湧いてきてしまいました。子供の想像力はいったいどこからやってくるのでしょうか。まだ記憶や経験が少ないはずの子供のあの溢れ出るような想像力はなぜ大人になるにつれ、なくなってしまうのでしょうか。ピカソは晩年に「やっと子供のような絵が描けるようになった」と言いました。大人になるに連れ、きっと理性が想像の邪魔をするようになるのではないでしょうか。想像するまでもなく”わかって”してしまうのです。パターンを”わかって”しまえばとても効率が良く、合理的に思えるかもしれません。殆どの事をパターン化してしまえば、悩むこともなく人生は最小限のエネルギーで済み経済的な豊かさを得ることが出来るかもしれません。

でもやはり、想像することは、人が人であるためのとても大切で尊いおこないのような気がしてなりません。想像はいつもそこにない何かを思い浮かべることであるはずです。そこに足りないもの、そこに必要なもの、そこにあったら世界がより良くなるもの。想像せずに見過ごすことは簡単かもしれませんが、想像のなかの広い広い世界を自由に行き来することもまた豊かな人生な気がします。デザインはそのほとんどが想像でなりたっています。そこに足りない何かを想像して穴を埋める作業です。しかも埋めるだけでなく、そこに花を植えることもまたデザインです。私自身のデザインも誰かの事を思いやり、誰かの想像をまた豊かにして、世の中の役に立つものでありたいなぁとおもいます。

 

_murata

近所の花 vol.4 [ナンテン]

2017.02.04

クリスマスやお正月、冬のお祝いごとにしぜんと寄り添っている植物、ナンテン。「難を転じて福となす」という言葉と通ずるため、古くより縁起の良い植物として親しまれてきました。江戸時代にはどこの家にもナンテンが火災よけとして植えられ、さらには魔よけとして玄関前にも植えられるようになり、この慣わしは今も日本の各地でのこっています。

植物が赤い色の果実をつけるのは、色彩に敏感な鳥が認識しやすいためだといわれています。 しかし、ナンテンの実にはほんのすこし毒があるのだそうです。それは、毒を持たないおいしい果実を付けると、鳥はそこに長い時間とどまって、果実を食べ尽くしてしまうからだとか。すこし食べてはほかの場所に移動し、ちがう食べ物を探す。そうして、鳥が食べ物を探しに渡り飛ぶ習性にしたがい、種子が母樹から離れた場所に散布されていくのです。

35°00’41.7″N 134°53’56.4″E 

instagram #ナンテン