想像の想像

2017.02.07

料理をつくるのが好きで、今までに試したことのない組み合わせを思いつくと一体どんな味がするのだろうと、どうしても作って見たくなります。料理は当然、味を想像しながら素材の組み合わせを決めたり、調理の工程を考えたりしますが、そこでふと「味の想像」っていったい何なんだろう、と疑問が湧いてきました。想像の中の味は一体どうやって想像しているのか?と考えれば考えるほど難しいのですが、逆に全く想像も出来ない味は何かというと、今までに食べたことのないものだとわかりました。

つまり、想像の正体は「記憶」や「経験」に近いものなのかもしれません。ではこの文章を読んでくれている方は、心の中でどんな「声で」読んでくれているのでしょう。私の声を聞いた事がある人はその声で読んでくれているのでしょうか。そうでない人は?何かしらの声がしていることは間違いないと思うのですが、記憶にないその音はモヤモヤ霧に隠れているようで想像が難しいのではないでしょうか。

しかしここでもう一つ疑問が湧いてきてしまいました。子供の想像力はいったいどこからやってくるのでしょうか。まだ記憶や経験が少ないはずの子供のあの溢れ出るような想像力はなぜ大人になるにつれ、なくなってしまうのでしょうか。ピカソは晩年に「やっと子供のような絵が描けるようになった」と言いました。大人になるに連れ、きっと理性が想像の邪魔をするようになるのではないでしょうか。想像するまでもなく”わかって”してしまうのです。パターンを”わかって”しまえばとても効率が良く、合理的に思えるかもしれません。殆どの事をパターン化してしまえば、悩むこともなく人生は最小限のエネルギーで済み経済的な豊かさを得ることが出来るかもしれません。

でもやはり、想像することは、人が人であるためのとても大切で尊いおこないのような気がしてなりません。想像はいつもそこにない何かを思い浮かべることであるはずです。そこに足りないもの、そこに必要なもの、そこにあったら世界がより良くなるもの。想像せずに見過ごすことは簡単かもしれませんが、想像のなかの広い広い世界を自由に行き来することもまた豊かな人生な気がします。デザインはそのほとんどが想像でなりたっています。そこに足りない何かを想像して穴を埋める作業です。しかも埋めるだけでなく、そこに花を植えることもまたデザインです。私自身のデザインも誰かの事を思いやり、誰かの想像をまた豊かにして、世の中の役に立つものでありたいなぁとおもいます。

 

_murata