東京の西、青梅の工房・壷草苑が生み出す美しい藍色に出会った時、とても心動かされた事を覚えています。深く、どこか懐かしく、そして自然の力強さを感じさせる色でした。かつて江戸時代に栄え、現代に受けつがれた歴史ある藍染めの染色技法をhatsutokiの生地にほどこした特別な素材のシリーズです。 天然藍灰汁醗酵建は、江戸時代を中心に行われていた方法。化学薬品を一切使わず、自然界からとれる原料のみを用いるため、布やそれを身につける私たちだけでなく、環境にとっても非常に優しい染色方法なのです。藍の発酵をうながす過程は、気温や湿度によっても毎回違うのだといいます。藍にもそれぞれ個性があり、染料として育っていくための環境づくりを、人間がその都度やっていかなければいけません。藍甕(あいがめ)の中をぐるりとかき混ぜ、色や水面に浮く「華」の状態、混ざる時の音等で判断するのだそう。昔ながらの手法が、私たちの手に届くまでには果てしない時間と職人の努力と知恵が注がれていました。
鮮やかに染まった藍染の生地
日本では代々、数種類の藍植物が染色に用いられてきましたが「日本の青」として、その美しさが世界に知られたのがタデ科の「蓼藍(タデアイ)」です。蓼藍の葉を乾燥させ、さらに発酵させた状態のものが、藍染めの原料となる蒅(すくも)。蒅は、藍の一大産地である徳島で作られています。徳島では江戸時代、毎年秋に台風で氾濫を起こす吉野川の洪水によって肥沃な土壌が生まれ、春に種をまき夏に刈り取れる藍が被害を受けることなくその恩恵にあずかり、土地に根付いてきました。今では徳島にいる5人の「藍師」と呼ばれる職人によってしか蒅は作られておらず、とても貴重なものとなっています。およそ1年の月日をかけて大切に育てられた蒅は、毎年2月に壺草苑に届けられ、染料として使われています。甕に蒅、堅木の灰汁(あく)を入れ、日本酒、麩(ふすま)、石灰を入れて発酵させると、1週間ほどで染色液ができます。糸や布を染色液につけ、出した時に空気中の酸素に触れることで、初めて藍色がすがたを現します。この過程を染めたい色味によって何度も繰り返すことで、ようやく濃色の藍になっていくのです。このような膨大な時間と手間をかけ、藍色は染め上げられていました。
蒅の入ったかます。1俵約50kg。壺草苑では毎年約50俵ほど仕入れる。
かますに入った蒅。これが藍染めの原料となる。
そもそも「藍」とは、いくつかの種類の植物の中に含まれている成分が変化して生まれた、藍色の色素を含む染料のことを指します。そこから派生して、それを生み出す植物のことや、色自体を指したりもします。藍の色素はインディゴと呼ばれ、これを繊維に染めつけることで藍色の染色ができるようになります。インディゴとは本来、インドで栽培されている藍植物からとれる天然藍(インド藍)のことを指し、「インドからきたもの」というのが本来の意味なのだそうです。
藍は人類最古の染料といわれ、世界各地で使われてきました。エジプトでは3000年以上前のミイラが藍染の布をまとっていたのだといいます。日本にはおよそ1200年前に中国から朝鮮を経由して伝えられ、平安、鎌倉、室町時代と時間をかけて少しずつ染めの技術が進歩していきましたが、江戸時代に木綿の反物が一般の人々に流通するようになると、ありとあらゆるものに藍染めが利用されるようになり、藍染めは一気に人々の間に伝わりました。
そんな時代の最中、壺草苑がある青梅市もかつて織物の産地として栄えていました。江戸時代に「青梅縞」と呼ばれた着物が生まれ、江戸の地では青梅で織り上げ染められた生地が多くの人に親しまれていました。青梅縞の主要染料が藍だったため、藍染めの技術も発達したのです。この文化を背景に青梅縞を現代に向けて新たに生まれ変わらせようと、壺草苑の職人さんが30年前からこの手法での染めを行ってきました。現代では化学染料を用いた藍染めが主流になり、昔ながらの天然藍を使った手法は数少なくなっています。化学染料であれば量産でき、価格も10分の1程度ですむのだそうです。また、天然藍のように休みなく藍の様子を見に来る必要もありません。しかし化学染料では表せない、美しく深みのある藍の色を求め、職人さんは何十年にも渡って天然藍と向き合ってものづくりをしてきました。
染料となる藍。日々発酵が進み、変化し続ける。
藍の色は、普段の日常ではジーンズの色としても人々に馴染みがあります。しかし、一般的に出回る多くの藍染めの多くは、実は化学染料の藍が使われているのです。19世紀、ドイツでインディゴの化学合成が成功して以来、工業生産されるようになり、より多くの人の手に渡るようになりました。天然の藍よりも合成品の方が不純物がないため均一に染まります。大量生産の波に乗って、やがて天然藍はヨーロッパでは技術が途絶えてしまいました。日本でも庶民の染料として、大量に作られていた日本の天然藍も、江戸時代末期には色素含有量の多いインド藍が輸入され、明治になるとドイツで開発された合成インディゴの輸入も増えたため、その生産量は激減。第二次世界大戦ではその栽培が禁止されたために、藍の生産は途絶える寸前でしたが、徳島の藍師が戦争中も種を守り、副業をしながらも藍作りを続けきたことで、現在でもその伝統が生き続けているのです。
藍それぞれの調子や個性を見極め、職人さんが染めの塩梅を決めていく。
天然藍の魅力は、藍そのものが生きているということだと言われます。職人さんによって一点ずつ手染めされ、染め重ねるほどに赤みを帯び輝きを増す藍の色は、深みがありとても美しい色彩を魅せてくれます。この深みのある青は、化学合成のインディゴにはない不純物が理由のひとつ。天然藍は合成インディゴと異なり単一成分ではなく、不純物を含んだ複合成分が含まれています。そのため天然藍の青には、実は沢山の色彩が入っており、それが色の温かみや奥行きとなって目に映ります。古くから人との関わりを深く持った天然藍の青は、自然の中でこそ生まれた色だったのです。
鮮やかで、深い藍。夏らしい色に染め上がりました。