ハツユキカズラ

2017.07.13

名前をみると、冬の植物なのかなと思いましたが、じつは春から秋にかけて咲く[ハツユキカズラ]。街の中を歩いていたら、家と道の境目で地面をおおっていました。白とピンクの部分は花ではなく、葉の部分。ピンク色から白へと、季節がうつり変わるのと合わせてゆっくりと色を変化させていくのだそうです。その様子から、花言葉も「化粧」「素敵になって」という白粉(おしろい)を連想させるようなことば。

植物を見ていると、季節をゆるやかにまたぎながら、ふとした瞬間に花を咲かせたり、色が変わっていって、日々刻々と、しっかり成長していただんだ、と感動してしまいます。いつも変わろうとしなければ、景色が大きく変わるくらいの変化はできないのだ!と日々を過ごすエネルギーをくれている気がするのです。

hatsutoki books vol.24 [blossom]

2017.07.07

7月の中頃まで、吉祥寺の古本屋・百年で展示を開催している、安藤晶子さんの[blossom]という作品集。彼女は主に、自分で描いた絵をピースにコラージュをして絵を作り上げています。ほとんどの作品が、ノートブック一冊分くらいの大きさなのですが、描きためた原画、それらを切り離したピース、絶妙なバランス感覚で配置されていくコラージュは、ぎゅっと密度が凝縮していて、なんだかおいしそうな果物のように愛おしい作品たちです。

コラージュという方法は、考えると日常のふるまいや過ごし方ともつながってくるものなのではないか、と考えるときがあります。自分がそれまでにこしらえた、ありったけの材料の中から一番ふさわしいものを、ふさわしい大きさに切り取って、ふさわしい場所に配置していく。どうしてもありあわせでは我慢できなくなったら、その場で作っては足していく。どんな材料を持ち合わせているかはそれまで自分が費やしてきた時間に付随するし、その時々でピースの見え方も変わってくる。そしていつの間にか、時間を重ねた「濃い」絵が完成する。安藤さんの絵には、そんな必然性と偶然性が隣り合った様な、ちょっとしたジャズのような感覚を感じられる気がします。

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そして、同時に面白いなと思うのは、一つ一つのピースはとてもシンプルであること。ある一定のパターンや柄の連続はモチーフも材料も、すごく身近で些細な何かだったりします。それらが組み合わさることで、小さい画面の中からでもどこか違う世界に連れて行ってくれる気分になるのです。

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「何でもない、けれどたしかにいとしい何ものか」「この世に、小さくてもみるべきものは、たくさんある。いくら大きくても、見なくていいものも、たくさんある」「何を見るべきかは、自分で決めていい」

そう言う彼女から生まれたものたちは自信のようなを持ち合わせていて、それを眺めるのはとても心地良いものです。

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東京の近くにお住まいの方は、ぜひ展示にも行ってみてください。展示スペースである本屋さんもいいところです。

[blossom]
期間:6月25(日)-7月15日(土)
場所:古本屋百年(東京都武蔵野市吉祥寺本町2-2-10 村田ビル2F)
時間:月曜日~金曜日/12:00~23:00
   土曜日/11:00~23:00
   日曜日/11:00~22:00
   火曜日/定休日

    詳細はこちら

(百年のホームページに移動します。)

hatsutoki books vol.23 [パイナツプリン]

2017.06.24

今回紹介するのは、吉本ばななのエッセイ[パイナツプリン]。『キッチン』で鮮烈にデビューしてから、作家として活動し続けてきた彼女の、初のエッセイ集。執筆した当時24才だった彼女の日常の出来事、友人や恋、作家について考えることについて。少女のようなあどけなさと、とてつもない落ち着きと冷静さを持ち合わせたエッセイは、まだどこか未完成でみずみずしさを感じます。

不安定な精神とデリケートな心を持ちながらも、家族や友人を愛し、やりたいことに前向きに取りくんで、人間らしく生きている。本当にいいなと思う。この言葉は、彼女が敬愛するスティーヴン・キングという小説家についてのエピソードから抜粋した、彼に対する思いを連ねた一節ですが、これはまさに、私自身が抱く彼女への印象。一人の作り手の、若き頃に考えていたことや目指していたものを知るのは、とても勇気をもらい、元気が出るものです。

また、この本で興味深かったのは、女性は「水分」が多くて変化が多いということについて書かれた部分。感情的な心の動きを、彼女は水の「揺れ」に例えていました。水が揺れるように、時に見ていてこわくなるような「瞬間美」のみずみずしさは女性の美しさなのだと。

これを読んで、「揺れ」はあっていいものなのだ、しょうがないのだ、とどこか救われた気分になり、それを以ってなお、たおやかにそれを乗り越えて、凛として毎日を過ごしていきたいなと思えるのでした。

近所の花 vol.6[ガクアジサイ]

2017.06.19

梅雨のはじまり、青い花が涼やかで見るとなんだか気持ちが落ち着きます。今日は道端で咲き始めた[ガクアジサイ]について。

小さい頃、ガクアジサイを見ては「いつ花が満開になるんだろう」と待ち続け、いつの間にか夏の訪れとともに枯れていってしまった記憶があります。私が思い描いていた「満開」のアジサイは、てまりのようなポンポンとしたホンアジサイだったのですが、実はガクアジサイを品種改良して、のちに生まれたものなのだそうです。

花びらのように見える部分は、萼(ガク)のかたちが変化したもの。花は萼の中心にある、小さいものを指すのだそうです。それでてっきり、萼からガクアジサイという名前がきたのかと思ったら、それも違うのだそうで。萼の部分が額縁に見えることから額アジサイというのだそうです。そこから別名を「額の花」ともいい、夏の季語として古くから人々に親しまれてきました。

「額の花こころばかりが旅にでて」 (森澄雄)

額の花を見ていると、気持ちだけが旅に出たいと急いていると詠われた句。湿気が高く、ぱっとしない梅雨の季節、それでもたしかに、この花を見るとどこか気持ちが晴れやかになって、どこかへ出かけに行きたくなりそうですね。

34°58’40.5″N 134°57’52.9″E

instagram #ガクアジサイ

hatsutoki books vol.21 [OPEN FRUIT IS GOD]

2017.06.01

今回ご紹介するのは、1989年生まれの東京出身の写真家・清水はるみさんの作品集[OPEN FRUIT IS GOD]。彼女曰く、この作品は”冷蔵庫に貼られたマグネットのたわいもない言葉遊びのように、主に自然の中で遭遇したセットアップのような光景をパーツとして集め、スケールの大小を問わず組み合わせたもの”だそうで、その比喩がしっくりと来てしまう、物腰軽やかで少しふしぎなニュアンスを持った写真です。

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これを見ていると「違和感」は、時に一種のうつくしさや、人を惹きつける何かなのだと思えました。私たちは日常の節々で、ほとんど無意識的に人と人との関係性や、ものとの関係性、環境の文脈を読み解こうとします。「少しわかる、だけど分かりきらない」というのは、ちょっとしたことでもとても気になってしまうもの。

独特の質感や組み合わせを捉える視線はシャープでみずみずしくて、それでいて女性らしいやさしさをも感じます。日常の中にある違和感を見逃さず、それらをを再編集することで、散文的でありながらどこか心に引っかかる作品です。

instagram #hatsutokibooks

採集について

2017.05.18

連休の数日、瀬戸内海へ足を伸ばして、ある島の海岸に行ってきました。海の水はまだ冷たくて、とてもではないけれど泳ぐことができず、海辺を散歩することに。小さい頃は、何時間も砂浜で貝殻を探すことに夢中だったな……と思いながら足元を見ていたのですが、ふと、きらきらとした貝殻の隣で打ち上げられた海藻が目に入りました。

水気を含んで、ぬるぬるしていて、手の上に長いこと持っていられるものでは正直なかったのですが、どのくらいの種類の海藻がこの海岸には打ち上がっているのか、ふとなぜか気になってしまい、集めてみることにしました。

歩いては落ちている藻を拾う。それを繰り返すうちに、海藻の水分がなくなってしまうことをおそれて、それを運ぶ容れ物を探すようになりました。さっきまではただのゴミだったペットボトルが途端にとても貴重に感じ、無心に拾い始め、海水で満たしては藻を入れていきました。

集めた海藻を眺めると、やっぱり海の生き物なのだなあと実感。その時集めた海藻は、たまたま全ての葉っぱが風船のように空気を含むような構造をしていました。漂流して、繁殖するためなのかなと思いましたが、それでも種類によってその工夫の仕方は様々で、それもまた不思議です。自然が与えた、全てのかたちには意味があるんだなあとふと実感したときでした。

hatsutoki books vol.20 [センチメンタルな旅]

2017.03.18

20回目に選んだのは荒木経惟の[センチメンタルな旅]。1971年7月7日、荒木と妻・陽子は結婚式を挙げ、翌日からの新婚旅行を撮影した写真集です。この作品は当時私家版として1000部限定で作られ、幻の作品となっていましたが、昨年復刻版としてふたたび出版されました。

この旅路の記録の魅力の一つは言うまでもなく、荒木の写す妻・陽子のすがた。飾り気がなく、笑みも浮かべず、気品があって凛としている。彼女の目の奥にひそんでいる、うつくしさや一種の狂気のようなものを荒木は自然と写していました。見てはいけないものなのではないか、と思うほどに親密で愛情深く、それでいて甘くない二人の光景は「夫婦」という関係性について肉親ではない他者から初めて考えるきっかけになったかもしれません。

ページをめくると、旅の中で流れていた時間を肌で感じることができているような感覚になります。旅先で淡々とシャッターを押す荒木の写真からは、これから夫婦として人生を歩んでいくのだという刻々とした覚悟のようなものもうかがえる、素敵な夫婦の始まりが描かれた作品です。

近所の花 vol.5 [コセンダングサ]

2017.02.22

コセンダングサは夏の終わりから秋にかけては、黄色い花を咲かせます。機屋さんに向かう道の途中、砂利道の隅で咲いていたのを見つけ、種をつけた冬の姿もとても可愛いと思いました。

種子は鋭い銛のようなものがくっついており、動物に付着して運ばれていくのに適したすがたをしています。なんで動物に運ばれることを前提として、こんなかたちをして生まれてこれたんだろうかと、考えてみると不思議。風で運ばれるもの、水に運ばれるもの、鳥に食べられて運ばれるものなど、植物にはいろんな繁殖の方法がありますが、当たり前だけどヒトにはそんな能力はありません。

ついつい、「人間だからできること」というのを考えてしまいがちですが、私たちには到底なしえないことを、植物は生き延びていくためにひっそりと力強く成して、環境に合わせた生き方をしていました。

35°00’49.9″N 134°53’36.1″E

instagram #コセンダングサ

hatsutoki books vol.19 [GIRLS STANDING ON LAWNS]

2017.02.19

今回紹介するのは、MAIRA KALMANとDANIEL HANDLERによって生まれた[GIRLS STANDING ON LAWNS]。二人は、ヴィンテージの写真からインスピレーションを得て、それぞれの創作に落とし込みました。その写真は、一般の人によって撮影された、ごくふつうのポラロイド写真。本のタイトルの通り、共通しているのは「芝生の上に立つ女の子」だということ。

イスラエル生まれのイラストレーター・デザイナーであるKALMAN は、時に白黒で映された写真に色を与え、風を感じるようなタッチで彼女たちの姿を描きました。そこに童話作家であるHANDLERが被写体のバックグラウンドを想像して、写された女の子が話しているかのようなテキストを添えてあります。

とても個人的な写真を見ると、日々のささやかな一瞬こそが幸せだなあと感じます。今になると、私たちは当たり前のように写真を撮る習慣がありますが、なぜ撮ることを好むのでしょう。嬉しい瞬間、お祝いのひと時、楽しかった思い出、それを忘れたくないからでしょうか。でも、昔の自分の姿を見たり、もしくは全く関係ない人の写真を眺めるなんて、よくよく考えればとてもふしぎなことに感じます。私たちは記録して見返すことで、忘れやすい自分たちの記憶になにかを蘇らせるだけだなく、たとえ全然知らない風景にも何かを新たに見出したりしているのかもしれません。「記憶をとどめたい」「過去をのこしたい」というヒト特有の感情は、とても人間らしくて、おもしろくて、美しいなと思う一冊。

instagram #hatsutokibooks

 

 

 

 

近所の花 vol.4 [ナンテン]

2017.02.04

クリスマスやお正月、冬のお祝いごとにしぜんと寄り添っている植物、ナンテン。「難を転じて福となす」という言葉と通ずるため、古くより縁起の良い植物として親しまれてきました。江戸時代にはどこの家にもナンテンが火災よけとして植えられ、さらには魔よけとして玄関前にも植えられるようになり、この慣わしは今も日本の各地でのこっています。

植物が赤い色の果実をつけるのは、色彩に敏感な鳥が認識しやすいためだといわれています。 しかし、ナンテンの実にはほんのすこし毒があるのだそうです。それは、毒を持たないおいしい果実を付けると、鳥はそこに長い時間とどまって、果実を食べ尽くしてしまうからだとか。すこし食べてはほかの場所に移動し、ちがう食べ物を探す。そうして、鳥が食べ物を探しに渡り飛ぶ習性にしたがい、種子が母樹から離れた場所に散布されていくのです。

35°00’41.7″N 134°53’56.4″E 

instagram #ナンテン